Monday, January 26, 2009

某掲示板にて、執拗な中傷がつづき、ここに記録として、、


私の父方の一族は県東部の周防大島出身です。今も親戚がおります。この島には日本ハワイ移民資料館という博物館があります。私の遠い親戚も明治時代にハワイに移民したそうです。ここの大学(Towson)の日系の教授は大島に戦後、442の戦死した日系兵士をご両親のもとに連れ帰ったそうで、戦争直後の大島の写真をお持ちでした。(私は外国人の撮った日本の写真を集めております)資料館は大変興味深い展示がたくさんありました。さて、足跡、写真写りのいいのを探して撮りました。これ以外は一直線だったように覚えています。そっちは写真を撮りませんでした。ジョセフ彦はアメリカの商船に救われ、アメリカの地で勉学に励み、ボルチモアのミッションスクールに行き、大聖堂で嘉永7年(1854)10月30日に18歳で洗礼を受けています。 1858年日本からの帰化第一号としてアメリカの市民権を得ました。洗礼の記録は大聖堂にあります。万次郎と生き方を比較してみるとおもしろいでしょう。また、堀達之助、ラナルド・マクドナルド、森山栄之助なども検索してみてください。写真はボルチモアの大聖堂です。地下のキリスト像も感動的ですよ。また、ここで1854年に日本人が洗礼を受けたと考えると、、長くなるのでここでおしまいにします。


あけましておめでとうございます。小串とは山口県の小串でしょうか?だったら懐かしいなぁと思わず思ってしまいました。子供のとき一度だけ、ひと夏、小串で過ごしたことがあります。晴れた日は船を出してもらって、毎日、島に渡って海で遊びました。違っていたらごめんなさい。


あけましておめでとうございます。実家が小串です。島まで行かれましたか、さざえやにぃななどを取りましたか?子供らを日本に連れて行くと、この海が一番印象に残ったと言ってくれます。まだまだきれいな海です。写真は小串の波止場です。こんな漁船で前の島まで渡ったのでしょうか。コメントありがとうございました。


お返事ありがとうございます。浜辺の色と海の水の色が記憶と一致していたの嬉しかったです。小串で過ごした夏はもう30年ほど昔です。裏山で取れる橙色のキノコと小さなふぐのお味噌汁。ああ、小串で遠縁のおばさんが獲れたてを買ってきて作ってくれたシイラのフライ。シイラは本当においしかったです。雨の日は貸し漫画本屋さん。ほんとうに海のきれいなところですね。懐かしく、まだ海がきれいなことを知って嬉しかったです。

私のブログに小串の写真をアップしておきました。よかったらどうぞ。日本を離れた1979年以前なら、その夏、小串のどこぞでお会いしたかもしれません。貸し漫画屋さん、私も小学生のころ学校の帰りによく行きました。橙色のキノコは??です。私を知っている魚売りのおばちゃんがまだ活躍していて、わたしを見て、“XXちゃぁん、元気かね”と。50過ぎのおっさんに子供のように呼びかけてくれました。
写真を拝見しました。ありがとうございました。小串にいった夏、私は初めて、単線と手でドアを開けるディーゼル列車に遭遇しました。下関から夜戻るとき、田んぼの中を線路が走っておりまわりに光らしきものもあまりなく、暗い田んぼの上を列車の窓の形の光が渡っていくのも幻想的でした。駅は高架ではなかったように思います。子供だったので集落のことなどあまり覚えていないのですが、貸し漫画本屋さんと浜辺の海の家のチャンポンは印象深く覚えています。そうそう小串の浜は案外潮の流れが速かったことも覚えています。ちいさな2センチほどのふぐの子達がぷくぷくと泳いでいました。ほんのりピンクがかった砂と明るいターコイズ色の海の色。子供の目には異国の海のように見えました。

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