Monday, November 15, 2010

2010年11月15日



I was asked to talk to amature photographers. There are all kinds of amatures. This is a group of people who do not know anything and I need to talk about very basic. I have been in business close to thirty years. Well, this is not what I intended to do. But I accepted without details. I have been very busy and I should not say, but I wish I had had not taken this voluntee seminar.

Tuesday, August 31, 2010

昨夜の夢



私ら家族が古い、手入れされた家の中にいます。
厚めの漆喰の白っぽい壁
きれいな壁です
窓の外にはきれいな道並み
木々は見えます
ボルチモアに昔住んでいた作家の家のようです
見えない幽霊が二人
いろんなものが動き始めます
家内はあわてています
そのうち幽霊に誘われるまま
数段階段を降りて
隣の部屋に
木目のきれいなオーバルのテーブルの上に
銀の箱、これが回り始める

そこで二人は別のテーブルの上に宇宙の絵が描かれた二つのゲーム箱その二つで遊び始めます
テーブルが立ち上がり、私のほうに
私はテーブルを手で押さえ、下敷きにならないようにします
一人の幽霊の細く長い手が私の腕をつかみ
本棚のほうに
本がたくさんあります
何か言っていますが、わたしにはわかりません
私が、Baltimoreに関する本 と聞きましたが、
その人が何を言っているのかわかりません、
もう何十年も口をきいたことのない人が
初めて話そうとする、そんな感じです
この棚のどれかの本の中に
だれかに伝えたいものがある、、ような気がします

目が覚めました  4時半くらい
再び眼を閉じると、、
同じ家
古い家具をその家の向こうに捨てる人たち
大変いい家具のように見えます
巨大な家具
ほうり投げた家具が私がいた家の上に当たって
上のほうが損傷
そのうちまた家の中
今度は
背の高い、バトラーの格好の幽霊、こちらははっきり見えます
私に話しかけます
彼の手と私の手が触れます
話はできません
上の娘がやってきて、聞こえないふりをすると
バトラーは娘に頭を近寄せて、その時 娘は バトラーの目を取りました
見えなくなったバトラーを私が力いっぱい押して、家から
追い出します

奇妙な夢でした

Friday, August 20, 2010

日本語を話すアメリカ人


I met this guy two years ago. While I was in a cherry picker basket (I was not picking cherries) way up. He started talking to me in Japanese from the ground. I was taking a team photo of a football team in a shaky basket. I was very confused then. I did not see him at last year's shoot. But today I saw him walking towards a cherry picker truck. So I said, "Ohayou=good morning". He came to me and said, “Bikkurishita=I was surprised." We had conversation in English and Japanese. One thing we did not do was putting a Japanese word in English sentences vice versa. People who do not know foreign languages put foreign words in sentences. To me it sounds just awful.His parents (Lutheran church) were in Japan for years and he spent most of his childhood in Japan. He speaks perfect Japanese. It is just so cool to hear perfect Japanese from an American person. I never met anyone who speaks Japanese like a native. I always hear wrong words for Keigo (you have to choose right words depending on whom you are talking to) That bothers me though I do respect people who try to speak a foreign language.
Later I found out he knows people whom I know in Japan. Yea, I met this American person who speaks perfect Japanese two years ago and today I saw him again and found out he is a friend with people whom I have known about twenty five years. What a small world! I used to listen to Lutheran church radio show every night in Japan over thirty years ago. I wanted to ask him if his parents knew the Lutheran minister on the radio show. Weill, I hope I will see him again next year.

Monday, July 5, 2010

Flying


It has been so hot lately. I came back from Japan on June 8th. We had rain only twice since. And it did not rain much then.
It seems I came back from Japan long time ago. But in reality, three weeks ago. I did not take many photos there. I did not even take my SLR camera. Just a point and shoot camera.

Tuesday, March 30, 2010


私が山陰地方のど田舎の小学校の低学年のころ、小学校の校舎は木造でございました。木造といえ、基礎はコンクリでした。コンクリの基礎の上に木造の教室が固定されているのでございます。基礎の側面数箇所に空気穴ともうしますのでしょうか、長方形の穴があいておりました。大人なら無理ですが、子供なら通り抜けることができました。放課後、私は友達の中村くんといっしょに床下にもぐりこむことにしたのです。最初はちょっと入って、すぐにでましたが、そのうちに大胆になり、自分の教室までいってみることにしました。夏の暑さはなく、砂地はひんやりとしていました。木の床には穴があり、そこから教室の光がもれてきます。ですから、床下は目が慣れれば、なんとか見えます。ただ、気をつかないと、床を支える柱に頭をぶつけそうになることもありました。二人で休み時間に廊下を歩き、“上と下”の距離感を掴もうとしました。この遊びはだれにも言いませんでした。二人の秘密の遊びでした。秋もそろそろ終わりかけようとしたころでした。このころはもう床下の隅々までわかっている気分でした。放課後の校庭から生徒たちの声が聞こえなくなるころ、また中村君といっしょに穴に入っていったのでございます。私が頭を低くして入ったために、半ズボンのポケットから大事なお小遣いが落ちました。うしろから入ってきた中村君は、これが落ちたよと私の手に渡してくれました。そろそろ山向こうに日もくれるころで、床下には教室からの光も十分ではなくなってきました。手渡す中村君の手の暖かさがしっかりと伝わってきました。この日は今までになく、どんどんと校舎の向こうに這っていきました。さて、床の下の校舎の形が頭の中のものと一致しなくなったころでした。不安に感じた私は引き返す時間だと思い、止まりました。這ったままの方向転換を中村君に提案するつもりでした。私が止まって自分の音だけを察したのでしょう、先を行っていた彼も止まりました。そろそろ帰ろう、、と言うところにこもった声が聞こえたのです。上の教室からの声であろうと思ったのですが、どうもそうではありませんでした。さらに向こうに敵意を持ったなにかの気配を感じたのです。にげよう、中村君に叫びました。二人で必死で這いました。自分の呼吸と音と砂地を這う自分の音が耳に入ってきました。光が入る穴が遠くに見えてきました。それに向かって、一生懸命這いました。中村君は私のうしろにいます。私と中村君が使っていた穴は同じ基礎の面に二箇所ございました。私はひとつの穴に向かい、中村君はもうひとつとなりの穴に向かったと思いましたが、私のうしろに中村君はついてきていたようです。やっと穴に体を入れて半分も体を穴から出たところでございました。私の右足をしっかりと掴む感触がございました。その手は冷たく、凍りつくようでございました。私は体が穴の中に引きずり込まれていくようでした。体が半分外、もう半分が中ででした。。となりの穴を見ましたが中村君の気配はございません。無言の冷たい手は離れません。私は必死で、“南無妙法蓮華経”を繰り返しました。そうこうしているうちに、ほんのすこし手が弱くなりました。私は渾身の力を絞り、穴から飛び出ました。振り返り、穴の中を見ると、なにか黒いものがうごめいているように見えました。そして、私の頭の中に、“このことは誰にもいうな”という声を聞こえました。あたりにはもうだれもいません。太陽は山並みを少し明るくしているだけです。薄明かりの中、中村君を探しましたが、どこにもいません。私は水場に行き、顔を洗いました。その時、うしろから人の気配がしました。あっ、よかった中村君だと思って振り返ろうとしましたが、身体がいうことをききません。さきほどと同じ声が、“今日のことはだれにも言うな、いいな”と頭に乱暴に入ってきました。すっと人の気配がきえたのでございます。振り返りましたが、誰もいませんでした。私は夕闇の山道を歩いて帰りました。翌日知ったのですが、帰ってこない中村君の両親が心配して探しているうちに小学校の校庭に倒れている彼を見つけました。左足に犬に噛まれたようなあとがあったそうでございます。そして、頭にはなにかにぶつけたようなあとが。数日ほど入院して、学校に戻ってきた彼はなにかほうけたようになっていました。今までの元気がないのです。なにを聞いても、まともに応えることができません。彼はその後特別クラスに編入したのでございます。そして、あの穴には鉄の格子が入れられました。私はあの日のことはだれにも言わずにいます。その後木造の校舎はなくなりましたが、こころの中で私の床下の遊びは消えてくれません。あの足に伝う冷たい感触がことあるごとに蘇ってくるのでございます。中村君は実家のある村の元国立病院で雑用をしております。村の道から病院の塀の向こう、掃除をしているのを見かけることがあります

Thursday, February 4, 2010