
昨夜母との電話の会話で“豊後の親戚”の話をした。母方の祖母の妹が豊後に引っ越して、戦争中山口県の今の下関市から、母は妹(わたしの叔母)といっしょにたずねたらしい。“白ご飯”を食べることができてうれしかったし、帰りには野菜やらお米を持って帰るようにと言われたなどなど。帰りの汽車の中で盗まれるのでいらないと断ってもくれたらしい。わたしの実家も田舎だったので、食料が不足するようなことがあったとは思わなかった。
豊後のおばちゃんには五人に子供がいて、みんな名古屋にいることも知らなかった。時々母に電話をかけてくれるようだ。その一人は女性でわたしのことを覚えているとのこと。私はおにいちゃんたちには記憶があるが、お兄ちゃんたちの妹達にはまったく記憶にない。どうしても思い出せない。その人は母にわたしのことを覚えていて、すごくやさいしくしてもらった、、、と話したと母は言う。ますます、思い出せないで、悪い気がした。
私が小学校に上がる前には豊後からよく遊びに来たそうだ。小学校に上がってからも、たまに下関まで来たらしい。
三歳のころの記憶があるのに、この妹分はわたしとおなじ年に生まれている。
忘れてしまって、思い出せないことは他にもたくさんあるのかもしれない。
No comments:
Post a Comment